ルスデランパラサッカースクールの日常

灯し続けることば

何でもかんでも叱ったらいいという訳ではなく、これは本当に叱るべきことなのかということを自分に問いかけることが必要だと感じました。ここで叱って集中力を途切れてしまうくらいなら、とりあえずやらせておいて、後で伝えるという方法もあるとわかりました。
褒めるための種をまくというのは、自分の中にはない発想だと思いました。出来たことを褒めると言うよりも、褒めれるようなことができるように種を巻き続ける事の方が大切だなと思いました。
子供に教えることで、子供の個性が云々、主体性が云々ということは、ないにしても、出来ていないことができるようにサポートすることは、大切なことです。この教えることの大切なことは、あたかも、子ども自身が、自分の力で成し遂げたように、教えるということが腕の見せどころということです。やらされている感じを出さずに、子ども自身から湧き上がってきたように教えること。そこを常に意識して教えることが大切です。
叱られ上手になることで、自分に学べるチャンスが増えます。その為にも、自分を庇う言葉を使うのは辞めることが大切だということです。時間がなかったので、私なりには、みたいな言葉は、使うのをやめるようにしようと思いました。
始めるのは同じですが、ゴールするのは、皆同じとは限らないということです。できるようになるスピードは人それぞれ違う。出来ない子を教えることは比較的簡単かもしれません。大切なのは、出来ている子をどのように伸ばしていくかということです。
ちゃんと畳みなさい。と伝えるのではなく、袖を持ちなさい。と伝えれば、畳めるようになる。文句を言うのではなく、アドバイスを与えることが教育者としては、大切なことだと感じました。そういう言葉をいくつも持っておかないといけないと思いました。