ルスデランパラサッカースクールの日常

カリスマ体育教師の常勝教育

目標が達成することをありありとイメージ出来るまで、意識し続けることが大切だということです。子供たちには、県大会で優勝するということを目標に練習に励んでいるわけですが、自分と子供たちがありありと鮮明にその情景がイメージできないと意味が無いわけです。
目標を決め、喋ること。コミットメントすること。出来なければ恥ずかしいという状況を自分たちで作り上げることが大切になってきます。
やり方をもらっても使うタイミングが大切になってくると同時に、やってみたり覚えたことについて、感想を書いたりするということは大切だということでした。子供たちにもサッカー交換日記をやってもらっているけど、まだまだ7割くらいの子供しかやっておらず、そこにも意識の低さというか、目標を鮮明にできていないということが伺えると思います。日記を書く意味ということや、書き方をもう一度教える必要があると思いました。

 

コップを上に向けるということは、よく知っていたのですが、これについて少し誤解していたということに衝撃を覚えました。コップを上に向けるというのは、子供と仲良くなることではなく、子供にやる気を持たせることだったということを最近の指導方法の改善とこの本を読んで、とても納得が行きました。よく聞く例が、この先生は好きだから話を聞くということだったのですが、ここには、最近とても違和感を感じていて、好きというのは、ある意味、子供にとって都合がいいとか、楽とか、そういう意味を含んでいるということも有り得ます。ですが、やる気を持たせるのは、一貫して、上手くなるために話を聞くという所につながります。

 

態度教育は、目に見えたところから始めていくということが大切だということを学びました。返事をはい!と短くはっきりすることというのは、子供たちがあまりできていない部分だと思いました。靴を揃えることも以前話したことはあったけど、徹底してやるということは、やっていなかったと思いました。あいさつも自分から先にやるということを伝えていなかったので、ひとつずつ徹底的に態度教育は、やっていこうと思いました。

 

やりきることの大切さについて学びました。今できる簡単なことひとつを必ずやりきるということは、自信に繋がるということです。確かに自分自身も、この日までは禁酒すると決めて、途中で飲んでしまった時に、その日になってお酒を飲んでも、何となく罪悪感を感じて、美味しく飲めないということがありますが、これも試合でいうと、あの日の罪悪感が当日の試合に直結するということがあるかもしれません。それが大きく積み重なっていくと、大切なところで力を発揮できないという事に繋がるのかもしれないと感じました。

 

練習か、授業か、家庭生活かを考えた時に、一番徹底させるのは、家庭生活ということです。理由は、先生の前にいない時だから、そこで出来るかが自立型人間の一歩になるそうです。次に授業、次に練習となるそうです。確かに生活態度をしっかりとできるようにしたら、自然と練習もしっかりするような気がします。練習のための準備となるのかもしれません。

 

本当に良い組織を作る時に、揉め事を経験していないと、団結力は生まれないということです。自分の意見を相手に伝えることも必要ですし、そのためには、この組織にいてもいいという、心理的安全も確保しなければなりません。ある程度の時間が必要な組織作りになると感じました。短い中学校生活でそのようなステップを踏むというのは、ある程度の自由を与えていると思いますし、指導者側の分裂しないようにいつも見ている必要があると思います。

 

態度教育は、企業や大学でも活用しているということで、幅広く使っていけるんだなぁと感じました。態度教育を習慣にまで落とし込むことが出来たら、それは、その人にとっての人生も変えるほどの大きな力になると思います。逆に言うと、自分自身がそのような態度を習慣化出来ていなければ、それを口だけ伝えることになってしまい、本当の意味で、子供たちに伝えることはできないと思いました。

 

この本を読んで思ったことは、自分の生活態度以上には、子供は、良くならないのではないか、という責任感を感じました。靴の整頓、荷物の整理、使った物は、あった場所に戻す。ありがとう。ごめんなさい。挨拶ひとつ。当たり前のようで出来ていないことは、子供たちにも反映させてしまうということです。自分の生活態度を見つめ直しながら、今いるチーム自体が、自分の写鏡であるということを意識して生活していきたいと思いました。