ルスデランパラサッカースクールの日常

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与えることは、リスクもあるが、リターンもあるという事実を知りました。

ギバーには成功する人もいるが、失敗する人もいるということは、失敗する人というのは与えることに対して、それが苦痛であるのだが、与え続けてしまっていて心身ともに病んでしまっているということがあるということです。

逆に成功するにギバーというのは、与えること自体が楽しく、見返りも求めていない。

結果的に長い時間をかけて見返りを得るのだが、そんなことは覚えていないということがあるそうです。

これはまず自分がギバーであるということ、しかしここでは一番は無理にギバーになろうとはせず、ギバーというのは元々、人に備わっているものだということです。

確かに親戚や身内の人たちのためには、おじいちゃんの病院に連れて行ったりとかそういうことは、普通にやろうとする。そういったことがもともと、人が元々備えているものだということを感じていました。

自分はサッカーを教えることが好きでやっているので、これをギバーと置き換えて与え続けることが大切だと思いました。

誰かと関わること自体好きなことで、自分自身、人見知りで友達も少ないので、誰かにお願いされると、とても嬉しくなってしまいます。

それによって与える機会があるということ自体が、とても嬉しいことなのではないかと思いました。

だからこういった内向的な性格というのは、逆に言うとギバーとしてはとてもメリットなんだなと感じました。

 

人脈という観点からいっても、ギバーであることはとても大切だということがわかりました。

特にこの章を読んでいると、自分にとってテイカーであったのではないかというところを、振り返ってしまう、なんとつらい胸に刺さるような話がありました。

知らず知らずのうちにテイカーになっていたのではないか。

そういったことを振り返る意味でも、この章読むだけとても価値がありました。

自分がギバーになれるように、どんな人に対しても精いっぱい自分が与えられるものを全て与えられるように努力していこうと思いました。

 

ギバーによって生産性が落ちる場合がある。

その際の判定というのは、例えば自分が受け取った分よりも、与えた分が多い人に対してはそれもギバーという判定になってしまう。

例えばそれで生産性が落ちているというのは、与えた数が時々、与える人であるより多く与えている人。

常に与えている人というのは、生産性も多いということになるなので、常に与えるというチャンスを見逃さずにアンテナを張っているギバーというのが生産性も同時に上がるということである。

長い目で見れ、ばそうなのであろう。

個人的にも一時期、与え続けていて自分の時間がなくなって苦しいというときもあった。

しかし確かに与え続けたことで長い目で与えられたことを多く感じていた。

おそらくギバーである人は、こういったことに与えられていることに対して、続かなければならないのだとおもう。

そうしなければギバーであり続けることは、難しいのだと感じる。

受け取るとことの勇気を受け取ることの大切さ受け取り上手であることはギバーであるためのギバーであり続けるためのコツなのかなと感じたそういった。

与えてくれたことに対して気付かずに知らんぷりしていると後々それはテイカーと同じになってしまう。

なので必要なことは誰かのために役に立つことを常に考えていることと誰かが与えてくれたことに対して気づくことが大切なんだなと感じた。

日ごろから感謝の気持ちを持つということは非常に大切である。

 

才能を見抜くということは、これは根本から間違っているということを学びました。

才能を見つけるのではなく、その人から磨いて見出すということにあるということです。

これはとても面白くてどこでも成長し輝けるという指導方法になります。

よくスペインとかでは、メッシは生まれるのではなく見つけるのだ。

という話を聞いたことがあるのですが、この考え方とはまさに正反対になります。

指導者たるもの子供たち1人1人の才能を見いだし、輝かせることが必要だと感じました。

そのためにもギバーであることが大切で、子供たち1人1人に対して時間を費やすいどのようにしたら成長するか与え知識を与えフィードバックを与え相談に乗りということを繰り返す必要があると感じました。

テニスプレーヤーやピアノの一流の人たちは元々才能があったわけではなく、地元で少し上手だったみたいな感じの人ばかりだそうです。

そして有名な指導者ではなくギバーであった指導者から最初に学んだ程度でした。

そしてその分野に対して好きでとてもやる気がを与えられたことでした。

能力を伸ばすことが先かやる気を持つことが先かを考えたときに、やる気を育ててあげることがとても大切だということです。

どんな子でもやる気がない子に対してはやる気が持つように働きかけやる気がある子に対してはどんどん上手くよりなるように支援することが大切だということです。

これは指導者にとってとても嬉しい事実だと感じました。

 

弱みを見せるということや、他の人に率直にアドバイスを求めるといったことは穏やかな緩やかなコミュニケーションが必要だということがわかりました。

心からアドバイスを求めることが必要であったり、自分の弱みを見せるときも何か狙って見せるといったことはしてはいけない。

相手のためになるということを考えて、弱みを見せることであったりアドバイスを求めること。本当に自分が必要だとアドバイスを求めるということが必要だということです。

見かけとしてはリーダーぽくないかもしれないですが、実はこういったゆるいコミュニケーションをできる人がリーダーとしては向いているということです。

他の人の意見を求めたり協力的にあるということは、良いチームを作り出す条件ということです。

最強チームを作る方法でも書いてあったように、弱みを見せるということはやはり一つ大切な要素だということはここでも伺えます。

それにやはり相手に話してもらうこと自分が聞き手に回ることはよくコミュニケーションのことでも説明がありますが、聞き手に回る事、相手が何を必要としているのかを知ること自体とても大切なのだと感じました。

相手に興味を持ち、絶えず質問する。共感する。そういったことを常日頃から練習のときから常にやって質問し問いかけることが大切だと思いました。

子供たちに必要なこと。子供たちはその時にどう思っているのかどうしてこうなったと思うか常に考えてもらうためには質問は必要不可欠なと感じてました。

 

燃え尽き症候群になるという人は、与えたにも関わらず、自分が幸福になれなかったときそれがずっと続くと思い付き症候群となってしまう。

自分が与えたことが何かに影響して幸福になっていくと、それが自分に幸福をもたらしもっと頑張ろうもっと誰かのためにつくそう誰かに与えようという気持ちが芽生えるのである。

これに何も反応もなくやりがいを感じられなければ燃え尽き症候群となってしまう。

また何かを与えるときに、バラバラに毎日1個っていうふうにやるより、週にまとめて与えるという方が同じ量与えたのに対してまとめてやった方が幸福感は増すということです。

能動的に与えるということがとても大切になってくると感じました。

またお金を誰かのために寄付するということは寄付した分寄付した金額に比例して収入が増えるということです。

これはとても面白いなと思いました。与えれば与えるほど収入が増えるということです。これは事業投資とは別なのかなあと、自分で言うとサッカースクールのためにお金を使えば使うほど収入が増えるということは確かに理にかなっているし、子供たちも喜ぶからまた与えられるということはわかるのですけど、寄付というのはまた別のことにお金を使うということなのかということはまた疑問に思いました。

でも気分が良くなるからそれでまた調子が上がってくるという意味でも他に寄付を与え寄付をするということは意味があることなのかなとはなんとなく思いました。

 

人に与えすぎることの注意点はテイカーに食い物にされるということである。

与える相手を見極めるということは非常に重要で、与えた先に相手もギバーであったりマッチャーであったら問題はないんだけど、テイカーがいた場合はマッチャーに自分自身が切り替わることが大事である。

やられたらやり返すということも相手に対して合わせてやるということも大事であるですが、3回に一度ぐらいは、一度チャンスを与えるということも大切だということをを学んだ。

この考え方はとても面白いと思った。

スクールの子たちには他の人にボールを蹴られるということがある。

ボールを蹴られたときに自分自身が我慢できることはとても大切だけどその子に対しては蹴り返してもいいんだよ。という話をしている。自分だけ我慢していてその子が嫌なことしてくるなんておかしいでしょ。

これはまさにギバーの子がテイカーの子に対して、やられたときにマッチャーに変わりなさいという話である。

この話は自分の中ではとても大切にしようと思った。

その他にも薄々感じていたことだけど、自分はルスデランパラを守るためには誰かの人と話しているときも、そのことをまずは守らないといけないという価値観で誰かと接している。

自分自身は別に苦労を惜しまずに誰かに与えたいと思うけど、それがスクールの保護者であったりチームの保護者であったり子供たちにとって負担になってしまうということはとても申し訳ないということを思うので、そこに関して影響がある場合は話があった場合も断るようにはしている。

そこの区切りはとても大切だと思った。

まだチームのことやスクールのことに対してプラスになることはお願いしてみようということは感じていた

 

与えることということは、信念からできるものではなく、行動からその人は与えようというふうに変わっていくのだとわかりました。

誰かに実際に与えた行動をすることで、あれ俺はこんな気前のいいやつなんだ。というふうに感じ、次からもっと与えてみようというふうに感じるのだということです。

子供たちに時々、新しい子が来たときに、コーンの片付け方を教えてあげてもらっていい?みたいな感じでお願いすると、時々嫌な顔をする子もいるけど、実際に教えてくれる子はすごい気分がよさそうな顔をしていて、次に新しい子が来ると「俺が教えてあげようか?」っていうふうに自分から言ってくる。

こういうことがおそらく同じことに繋がるのだろうと思う。

実際に誰かに優しくするとかということが大切なんだよ、と伝えるよりも実際に誰かに対して優しくするという行動を経験させることがとても大切だと思いました。

同時に自分自身も誰かに優しくしたり与えたりするということを日々習慣にすればもっともっと誰かに与えたくなるという気持ちが芽生えるのではないかというふうにも思いました